原発問題を割と今までになさそうな見方で見る3~国益とは何か?

前回はベンサムの考え方をヒントにして原発政策のゴールを考えてみた。そしてそのためには現状をしっかり理解する事が必要だという事も書いた。今日はその現状を新聞が伝えない様な、少し違った切り口で物事をみていきたい。それは国益とは何かと言う事だ。

国益は魅力的な言葉だが、それは具体的に何を示すのか

 

 さて、原発推進派が良くいう文句として「国益になる」という言葉がある。だが私は真の意味で国益なんていうものは無いと考えている。国益とは文字通り国の利益と書いて国益という。しかし考えてみると国の利益とはなんだろうか。もし、主要な日本の企業が儲かり、それが結果的に日本にメリットをもたらすという意味だとしよう。だがこれを言い換えるとあるのはそれを選択する事によって得をする存在がいるという事実があるだけだ。それが多く存在し、それらが利益を得るならば結果的に日本の為になると言われる。例えばトヨタと日本の関係の様に。

 だが、真に国全体の為なんていう利益は存在しない。例えば円安だってそうだ。ながらく円安は日本にとってプラスであると言われてきた。確かに輸出企業は得をしたかもしれない。(実際は思っていたほどでもなかったがそれは本筋ではないので書かない)しかし多くの企業や生産者が苦しい思いをしたのも事実だ。

 輸出企業でも損した企業があった。東芝がその例だ。東芝は海外に多くの生産拠点を移していたためにこのメリットを享受する事はできなかった。損をした。結果、粉飾決算に繋がったかもしれない。東芝の不利益は日本の国益に反しないのだろうか?そして輸入企業にとって大きな痛手だったことも忘れてはならない。例えばニトリなどの企業は苦しくなるわけだが、彼らの損は国益にとって損にはならないのか。また海外から飼料や食品を調達する人々の苦境ぶりは話題になった。中小企業で働く人間が苦しむ事は国益に反しないのか。

 円安は輸出企業にとって得だった(として)が、それは多くの犠牲の上に立つ。しかしトヨタがたくさん利益を上げて日本に還元されるならそれは国益なのだ。(だが実はトヨタが上げた利益の多くは海外の生産拠点があげたものだったが)

国益とは結局は利益関係者にとっての益

 

様は国益とは特定の企業や利益関係者が得をする。そしてそのおこぼれに期待するという、事実から派生するただの淡い願望なのである。日本全体にとってプラスになる選択などはない。ある特定の強い集団が儲かる様な仕組みをしていく。そして彼らの手から零れ落ちる益を下の人間が乞食のようにありがたがる。実はこれが国益なのだ。これがトヨタなどを儲けさせることだ。これがトリクルダウンが発生して・・・なんていう議論に繋がる。ところで、本当に日本の景気は良くなったか。株価は上がった。物価も上がった。しかし国民の所得は増えない(物価の分だけ増えてない)。労働人口は増えた。(非正規が)そして経済成長率は民主党の時より低い。これは民主党政権の時より労働の生産性が低下している事を意味するのではないか。(私は別に民主党支持者ではないが)

 少し話はそれたが、円安を例にあげれば分かる通り、国益を重視した政策は万人にとって良い事ではない事を理解する事が必要だ。正確には誰かにとっての益にしかならないという意味で理解してほしい。これが原発問題にも言える。ベンサムの議論でいうと、つまり推進、反対双方の政策のうち、どちらの方が国にとっての幸福につながるかを市民は選挙で決める。その選択を間違えないためにまず国益とは利益関係者の為の益である事をまず理解して欲しい原発の利益関係者とは誰だろうか。経済産業省東京電力などの電力会社、自治体、俗にいう原子力村の人々である。これらに予算が振り分けられて自分の待遇が保障されるのである。これらの人々にとって原発推進は快である。またコストパフォーマンスが優れていると信じる人にとっても同様だ。一方で誰が損をするか。無理益なのに事故リスクを背負わされるこうした利益を受けない国民や市町村である。

次回は更に原発の矛盾を考えてみたいと思う。というか次回がキモだ。私は原発反対派ではない。だが、自分が知りうる限り自分の言う原発のリスクを語るメディアが無い様な気がするので原発問題を考える上で反対派も賛成派も知っておいてリスクがあるのである。それは原発の隠れたコストの問題だ。