ニーチェまとめ①ニヒリズムからキリスト教批判まで

今まで20回くらいに分けてニーチェと関係がある様な事を羅列してきた。しかし、長くなったのと、結構話がそれた所があったと思うので、このあたりで少しまとめたい。

① ニヒリズムについて

② キリスト教批判 

③ 道徳批判(従来の価値の転倒)

④ 従来の価値観に代わって提唱する永劫回帰の価値観

ニヒリズム

中世から近代になり、キリスト教の権威や、絶対性が様々な事件や科学の発達により、相対的に低下してきた。そこで人々は今まで絶対的だった、キリスト教に対して不信感を抱き、ニヒリズムに陥る。そこでニーチェはそもそもキリスト教そのものを疑い始める。

キリスト教批判

彼は自分の中の善悪の基準を疑い、考察しない限り、本当の意味での善悪の基準をうちたてる事はできない事に気づく。そしてキリスト教を吟味すると、キリスト教ルサンチマンに基づいている物と理解した。

そもそも人は、本来的に自らの生の発展を一番の価値とする。これはより強く、より良く生きようとする本能的な意思だ。人の内面から生み出す徳。これが自然発生的な道徳だった。キリスト教はこういった物を否定した。キリスト教は、現世にありもしないあの世をねつ造し、現世では弱い自分はあの世では強く、そして幸せになるのだと、現世で自分が弱い事が正しい事だと正当化する。(例として王と民の関係をイメージすると良い。民は弱い事が理由で虐げられる自分は現世ではだめでも、あの世では幸せだと思い込む。そして自分が弱い事を正当化する)

そしてキリスト教は肉体を軽視した。肉体を禁欲的に行使する事を求める。しかしこれは禁欲的に行動しなかった事に対して、後悔させる為のルールだった。例えばキリスト教徒が何か、キリスト教におけるルールを守らなかったとして、それと因果関係がない何かしらの不幸が襲ったとする。この時にキリスト教は教義通りに(禁欲的に)行動しないから不幸になると主張する。禁欲的に行動できなかった事に対して、ダメなのは私たち(弱者)と同じにしないからだと自由な人をたしなめる。そして人々は凡庸化し、力のある人間は弱者により引きずり降ろされ、個は消え去る。才ある者も淘汰される。こうしてキリスト教は本来的な人間内部から発する自然的な道徳を、ルサンチマンに基づくものに塗り替えてしまったのだ。

 だが、人々が自由を捨てさせるキリスト教を信仰するには理由があった。それは生きる意味が欲しかったからだ。そしてそれを与えてくれたのがキリスト教などの禁欲主義的な考え方だ。自分への苦しみを創り出し、生きるという事に対して意味を与えてくれた。この解決をしたという意味で少なくともキリスト教は意味があったと言える。

ニーチェキリスト教批判を簡潔にまとめると、こんな感じだろうか。彼のキリスト教批判はキリスト教批判そのものを目的にしたというよりもルサンチマンがもたらすものを批判したと考えられる。そして彼はキリスト教の他にも道徳も批判した。それは次回に回そう。