原発問題によせて④ ニーチェ主義者が切る!~原発問題の本当に恐ろしいところ~

原発は本当にコストダウンにつながるか

 

一般論としてよく言われるのが、原発はコストパフォーマンスが良く、安全に運用すればもっとも有用な電源となりうるという論理だ。とりあえず核のゴミの問題や実際のコストパフォーマンスのレベルが高いか低いかは置いておくとして、私は少し違った部分のコストに焦点をあてたい。それは原発の管理のコストである。

原発のコスト~原発は麻薬か?

 

私に言わせれば原発は麻薬と同じだ。麻薬は一度使ったらやめられないし、使う量が増えていき、同じ量では満足できなくなると言われる。結果量が増え、金もたくさんかかる。だが私はこの原発の問題にも同じ構図があると思う。つまり原発の安全のためのコストは年々上がり続けるという事だ。それは燃料の高騰によるものではない。人件費、メンテナンス料、地方自治体への助成金などの費用そのものが原因だ。今までこれらの要素を鑑みたうえで原発批判を試みた者がいただろうか。少なくともメディアにはいないだろう。感情的に原発の被害の大きさや核のゴミの問題を扇情的にまきあげるだけで(もちろんそれも大事なのだが)理性的に批判をしてきたものは多くは無かったはずだ。私が原発行政に対して最も危惧するのはこれらの費用が大きくなって国の財政を大きく圧迫する事だ。考えてみてほしい。原発を運営する上で一番大事なのは何だろうか。それはほかならぬ安全である。その安全を確保するための費用を常識的に削減する事なんて考えられるだろうか。例えば人件費を下げる事なんて考えられるだろうか?日本は年功序列型だ。人件費は毎年上がる。メンテナンス料(保全費)は言うまでもないだろう。

安全という「まやかし」の為に払われる限度の無い金

 

 原発を運営する上で一番のリスクは安全である。だが事故のリスクをゼロにする事は決してできないのだ。とはいえそのリスクをより少なくする事はできる。それは予算を大量につぎ込む事である。特に一度事故を経験したのだから否応なくそのリスクを防ぐための費用への財布のひもはゆるい。だが、問題なのはその費用に天井なんてものはない事だ。なぜなら原発事故のリスクは永久にゼロになる事はないからだ。そしてそれを口実にして原子力村の人間が安全のためなどと言って、自らの為の予算を国から引っ張り出して、自らの肥やしにするのだ。地方自治体への助成金も同様だ。原発事故へのリスクを担保してもらう自治体への慰労金を削減することなどできるだろうか。こうして原子力の安全を担保するために大量の金が使用される。しかも減る事はない。更にそれを全国に作ろうとするのである。

麻薬と原発

 

これを麻薬と置き換えてみる。麻薬は一時の幸福を得る為に使用される。そして次第に使用量が増えていく。そして人生がダメになる。原発はどうだろう。一時の電力を得るためにたくさん作る。しかし安全性を担保する為にたくさんのお金を使う。そんな施設なのに量を減らすどころか増やせと自民党は(原子力村と経産省が言うからだ。電力会社にとって原発を持っているのに使用しない事は無駄に維持費がかかるだけになるし、経産省は予算を獲得できるから。末人なのだ彼らは。)言う。そうなるとコストパフォーマンスを上回り、ますます国の借金は増えていく。国はダメにならないだろうか。実際のところ原発行政は利益関係者の為の利権なのだ。

いかがだろうか。こんな事を言うニュース解説者はいただろうか。新聞はあっただろうか。いないだろう。それはメディアの人間はみな末人だからだ。だがこんな事を書いておいて私はなおも原発支持派なのである。それはエネルギーの代替性の観点からみるとやはり重要なのだ。ではどうすべきか。私なりの案がある。それは次回に回そう。