ニーチェ主義者が切る~今あえて考えてみる安保法案~

前回の続きだ。

安保法の問題を自分なりに考えてみる。何が問題だったのだろう。

 

さて、よく学者や識者が安全保障今回の件で「立憲主義に反する」とか、「法案は違憲である」とかそういう主張をする。それに対して「中国の脅威が迫っているのに何を寝ぼけた事を言っているんだ!」なんて思う人もいるかもしれない。でも彼らは自衛隊を円滑に運用する事に対して反対はしているのではない。それよりもその実現の方法がおかしいと怒っているのだ。(反対している人もいるかもしれないが、批判している人たちはそういう人たちだけではない事は理解するべきだ)彼らが政府に怒るのは国民に是非を問う必要があるであろう、この重大な事柄に関連する事柄への決断をさせず、この法案を強引に押し進めるという姿勢があったからだ。

そもそも現在の法律では自衛隊の運用は厳密に行われていた。なぜなら自衛の為の組織でしかなかったからだ。それを海外からの要請を受け(人道支援など)、国会で限定的な承認をすることで自衛隊を海外に派遣してきた。しかし今回は違う。明確に憲法上、日本に集団的自衛権を持つ事を認めさせて、アメリカとの共同軍事作戦に参加できる様に作られた、自衛隊の円滑な運用を可能にするための法律だからだ。(勘違いしている人がいそうなので、強調しておくが、そもそも日本を守る為には集団的自衛権は必要ない。日本を自衛隊を使って守る為の権利は個別的自衛権だからだ)

つまり集団的自衛権に基づく自衛隊の海外への派遣を容易にし、同時にアメリカとの協力関係を強調する事でISやロシアや中国などの国や組織との対立関係を深め、テロや戦争関係の出費が増える事やその他の攻撃の標的になる様な事態につながる事柄に関する決断である。こんな重要な事をなぜ国民の同意を得ず勝手に政府が強引に決めたのか。まず、多くの学者はこれに怒っている。

この是非は日本が国民主権の国家であるならまず国民に問うべきだ。では国民に問うとは何か。一つは解散総選挙だ。そしてもう一つは憲法改正だ。現実的にみると総選挙は支持率の低下があり、難しい。そうなるとやはり憲法改正が現実的な手段だった。もし、現在の国際情勢をみて国民が憲法改正が必要だと感じ、憲法を改正してまで中国やロシア、テロリストに対応しなければならないなら、それもいいだろう。しかし安部首相はそれをしなかった。それは国民軽視である、として反対派は怒るのだ。

そして更に学者を怒らせるのがそもそもこの法案が成立する前提で話が進められている事だ。かねてから米国は自身の軍事費を抑えるために日本にアジアの安全を守らせたがっていた。それを受ける形で法案を作り、安部首相はアメリカの議会にて自身の政権の間に(もっと具体的な期間を指定したかもしれない)必ずこの法案を通し、アメリカの負担軽減に協力する事を表明した。(しかも国民に問う前に)これに応えるため、必ずこの法案を成立させる必要があった。そして国民の信を問わず、確実に成立できる方法で成立させた。

後でこの法案を通していてよかったと思うはずだ、などと首相は言うが、法案の内容よりも、行政権が立法と連携して国民を無視し、独善で自分にとって都合がいい様な法案を作った事実が問題なのだ。これは明らかに行政権の暴政にほかならない。

今回の件で一番メリットがあるのはアメリカと中国だ。

 

今回真の意味で得するのは負担が減るアメリカと、後ろ盾が増えた途上国、そして右翼化する日本に対抗するという名目で軍事力を強化する免罪符を得た中国だ。本当の意味で嫌がっているのは韓国だけかもしれない。

批判者の不在

 

残念ながら彼らの独善を通してしまったのは批判者がおろかだったせいでもある。感情でしか判断できない愚か者の批判ばかりが目立ったのは事実だ。彼らがまるで反対派の主流であると取り上げられた事は行政権の暴走を招いた一因だ。そして分かってもらいたいのは、学者の中には彼らの様なお花畑批判者とは違う人間もいるという事だ。例えば代表の広渡先生はかなり聡明なお方だ。元旦恒例の天皇の新年会に必ず招かれるほどの知識人である。他にも色々高名な方がいらっしゃるが、彼らは感情論で批判はしていないのである。

この問題は外交問題としてもそうだが、日本の行政権において大きな汚点になったのは間違いない。皆さんも大衆主義に流されず、自分の頭で考えて、ネットだけで情報収集するのではなく、色んな本を読んでみたりして知識を吸収して欲しい。