なぜニーチェ?

私がニーチェの思想を知るきっかけとなったのは、とある公務員の講座でいわゆる実存主義五人衆(キルケゴールハイデガーヤスパースニーチェサルトル)についての授業だった。もともとあまり哲学には興味は無かったのだが、その中で「神は死んだ」とか「ルサンチマン」がどうこうだとか、キリスト教を批判したなど、非常に変わった考え方をするニーチェに興味が湧き私は彼について調べる事にした。彼の思想はよく実存主義にカテゴリーされる。なので実存主義について少し語りたい。

実存主義とは物事には意味があるから存在するのではなく、その前に意味も無く存在するという考え方だ。たとえばこの前とあるゲームの攻略の為にニコニコ動画を見ていた際、ゴキブリとは何の為に存在しているのか、という記事があった。しかし実存主義的な観点から言えばそれは意味があるから存在するのではなく、それは意味がある、無いの前にそれはただ単に存在しているんだという事が言える。ゴキブリが今いるのはただ彼らが生きてきた結果なのだ。またサルトルは以下の様な言い回しで実存主義を説明した。「目の前にはさみがある。このはさみは物を切る為に作られたものである。紙を切るという目的があって誕生した。しかし人間はそうではない。つまり人間は何かの目的をもって作られたわけでは無い。人間が生まれてくることに意味は存在しない。何かを果たすために生まれてきたわけでもないし、自分の人生を自由に選択することができる」と。

さてニーチェに関係ある話に入っていこう。一般的な議論としてよく「人は生きる意味を考えたり、漫然と死への不安を抱えている」なんていう議論がなされる。つまり人は生きる意味や不安を克服しようと様々なあがきをするという事である。そしてニーチェに言わせればそうした物の中に宗教があるという。例えばキリスト教等の事である。キリスト教は強い物を良しとせず、弱い物を良しとしたという。それは奴隷道徳であるとも言った。いわば奴隷の様に弱い人間が自分たちを正当化するためのルールがキリスト教だと言ったのだ・・・・・・・

 わかります。意味が分からないですね。もっと詳しく順を追って説明したいんですが、字数の限界なので次に回します。。